北綾瀬駅にあるものは [交通]
北綾瀬駅は綾瀬駅から単線で一つ目の終着駅で改札口は環状七号線に面しています。
目的地は駅の左下に位置するしょうぶ沼公園ですが千代田線は駅から先 環状七号線を越えて続いています。
はたしてそこに何があるのか 行ってみました。
まずは
環状七号線を渡って先に進むと
地図に示されていた通り高架線が先に延びています。
綾瀬の名はこの辺りを流れていた荒川の本流でもあった古綾瀬川はその流路が時によって大きく変化するため当時は あやし川 と呼ばれたことに拠っているらしいのです。
その暴れる荒川の治水の一つとして江戸期に現在の綾瀬川が開削され 同時にこの辺りは長左エ門新田として開拓されたところなのです。
当時は米を作っていたのかもしれませんが今は
枝豆の畑が住宅街にところどころ残っていてほんのわずか当時を偲ぶことができます。
そういった一画には
長左衛門新田の鎮守として創建されたといわれている稲荷神社もあります。
さて問題の千代田線ですが先ほどの延長線を跨ぐ歩道橋があったので上ってみました。
北綾瀬駅を出た電車がやってきていました。
跨線橋の反対側には
広大な千代田線の電車区がありました。
この施設が北綾瀬駅が作られることになった大本なのです。
さて疑問が一つ解けたところで再び
環状七号線を渡り しょうぶ沼公園に
花菖蒲を見に行きました。
目的地は駅の左下に位置するしょうぶ沼公園ですが千代田線は駅から先 環状七号線を越えて続いています。
はたしてそこに何があるのか 行ってみました。
まずは
環状七号線を渡って先に進むと
地図に示されていた通り高架線が先に延びています。
綾瀬の名はこの辺りを流れていた荒川の本流でもあった古綾瀬川はその流路が時によって大きく変化するため当時は あやし川 と呼ばれたことに拠っているらしいのです。
その暴れる荒川の治水の一つとして江戸期に現在の綾瀬川が開削され 同時にこの辺りは長左エ門新田として開拓されたところなのです。
当時は米を作っていたのかもしれませんが今は
枝豆の畑が住宅街にところどころ残っていてほんのわずか当時を偲ぶことができます。
そういった一画には
長左衛門新田の鎮守として創建されたといわれている稲荷神社もあります。
さて問題の千代田線ですが先ほどの延長線を跨ぐ歩道橋があったので上ってみました。
北綾瀬駅を出た電車がやってきていました。
跨線橋の反対側には
広大な千代田線の電車区がありました。
この施設が北綾瀬駅が作られることになった大本なのです。
さて疑問が一つ解けたところで再び
環状七号線を渡り しょうぶ沼公園に
花菖蒲を見に行きました。
7枚目の画像のちょっと右側辺りで最近お仕事してました。
あの歩道橋の上から見ると電車区が丸見えだったんですね。
by t-yahiro (2014-06-14 22:13)
t-yahiro さん
今回は貴兄のお近くにお邪魔しました。
次回は水元公園にでも行ってみようかと考えています。
by kurakichi (2014-06-15 00:23)