三十間堀に沿って [街並]
昨日の記事の銀座湯が面している通りはかつての三十間堀の左岸の縁に当たりますが
つまり
この写真に写る株式会社法研さんから右に50mほどが三十間堀の川幅だったということです。
ここから少し先にある
昔からやっていそうな材木屋さんは昔はその三十間堀から荷揚げしていたのかもしれません。
もちろん三十間堀は戦後すぐに瓦礫で埋め立てられたわけで 今は
JRAのWINS銀座といった大きなビルが立ち並んでいてここに堀があったことなどは全くわかりません。
さて銀座三丁目のギャラリー青羅さんで行われている
高橋武型染てぬぐい展を観てからさらにこの道を進んだのですが途中からは一つ中央通り側の道に移りました。
まさに昔の三十間堀の中央付近を歩いたというわけです。
するとその道の先には
何やら白いフェンスが見えてきました。
これは
以前 銀座シネパトス があった三原橋地下街の北側の入り口があった場所です。
三原橋地下街は三十間堀が埋め立てられたときここに架かっていた橋のアーチをそのまま生かし それを屋根として昭和27年(1952年)に造られた地下商店街でした。
あいにく私はこの商店街については一度も訪れたことがなく詳しいことは知りません。
ここがどのように造られ、どのようなお店があったかについては「ハマちゃん」のがらくた箱に詳しく書かれていますので
このバナーをクリックしてみてください。
緩いのぼりになっている左の道を行くと晴海通りに出ます。
ここが昔アーチの橋であったことは晴海通りが少し盛り上がっていることでうかがい知ることができます。
晴海通りを挟んで向かいにある
南側の入り口もこちらと同様に工事が始まっていました。
つまり
この写真に写る株式会社法研さんから右に50mほどが三十間堀の川幅だったということです。
ここから少し先にある
昔からやっていそうな材木屋さんは昔はその三十間堀から荷揚げしていたのかもしれません。
もちろん三十間堀は戦後すぐに瓦礫で埋め立てられたわけで 今は
JRAのWINS銀座といった大きなビルが立ち並んでいてここに堀があったことなどは全くわかりません。
さて銀座三丁目のギャラリー青羅さんで行われている
高橋武型染てぬぐい展を観てからさらにこの道を進んだのですが途中からは一つ中央通り側の道に移りました。
まさに昔の三十間堀の中央付近を歩いたというわけです。
するとその道の先には
何やら白いフェンスが見えてきました。
これは
以前 銀座シネパトス があった三原橋地下街の北側の入り口があった場所です。
三原橋地下街は三十間堀が埋め立てられたときここに架かっていた橋のアーチをそのまま生かし それを屋根として昭和27年(1952年)に造られた地下商店街でした。
あいにく私はこの商店街については一度も訪れたことがなく詳しいことは知りません。
ここがどのように造られ、どのようなお店があったかについては「ハマちゃん」のがらくた箱に詳しく書かれていますので
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緩いのぼりになっている左の道を行くと晴海通りに出ます。
ここが昔アーチの橋であったことは晴海通りが少し盛り上がっていることでうかがい知ることができます。
晴海通りを挟んで向かいにある
南側の入り口もこちらと同様に工事が始まっていました。
今から〇〇年前は晴海が仕事場でしたから、銀座から晴海通りをとおって行きました。三原橋の地下街は面白かった記憶がありますが、
歌舞伎座へ行くときに、通るだけ。
今は歌舞伎座も行かなくなりました。みな懐かしいです。
by majyo (2014-08-29 07:18)
majyo さん
私は残念ながら三原橋地下街については一回も行けませんでした。
とても残念に思っています。
by kurakichi (2014-08-29 13:37)