弁慶坂と弁慶橋 [史跡・遺跡・遺構]
旧甲州街道をさらに西に行くと下り坂になります。
左側は以前訪れたことがあるこれもかなり古いお寺の高安寺ですがその塀の脇にこの坂の名の由来が書かれていました。
この坂の名は 弁慶坂 といい昔高安寺(当時は見性寺)で弁慶が義経のご赦免祈願のために大般若経を写したという伝承によっています。
その写経で墨を磨ったとき使った水を汲んだ井戸と伝えられているのが
高安寺境内にある秀郷稲荷の後ろの崖を少し下ったところにある
この
井戸で
石碑が建てられています。
さて弁慶坂を下りきったところは分倍河原駅から北に向かう道が突き当たる丁字路になっていて その交差点の10mほど先は
北側から下って来る道がぶつかる丁字路になっています。
この坂は
棒屋の坂といいます。
おそらく昔この坂沿いに川が流れていて街道に橋が架けられていたのでしょう。
石橋供養塔がありました。
ここに架けられていた橋の名は 弁慶橋 で
その名のいわれはもちろん高安寺の言い伝えによっています。
ここには
府中郷土かるたの碑も建っています。
甲州街道?江戸時代のことなどまだ最近のことじゃないの、片町の歴史はもっと深いよー と言っています。
左側は以前訪れたことがあるこれもかなり古いお寺の高安寺ですがその塀の脇にこの坂の名の由来が書かれていました。
この坂の名は 弁慶坂 といい昔高安寺(当時は見性寺)で弁慶が義経のご赦免祈願のために大般若経を写したという伝承によっています。
その写経で墨を磨ったとき使った水を汲んだ井戸と伝えられているのが
高安寺境内にある秀郷稲荷の後ろの崖を少し下ったところにある
この
井戸で
石碑が建てられています。
さて弁慶坂を下りきったところは分倍河原駅から北に向かう道が突き当たる丁字路になっていて その交差点の10mほど先は
北側から下って来る道がぶつかる丁字路になっています。
この坂は
棒屋の坂といいます。
おそらく昔この坂沿いに川が流れていて街道に橋が架けられていたのでしょう。
石橋供養塔がありました。
ここに架けられていた橋の名は 弁慶橋 で
その名のいわれはもちろん高安寺の言い伝えによっています。
ここには
府中郷土かるたの碑も建っています。
甲州街道?江戸時代のことなどまだ最近のことじゃないの、片町の歴史はもっと深いよー と言っています。
タグ:府中市
弥生時代から、人が住んでいたと言うことですね(^^;;
by 風来鶏 (2014-10-25 13:38)
東京散歩をよくしていた頃、江戸名所図会とはよく出会いました。
新旧というよりいにしえが蘇りますね。
by majyo (2014-10-25 19:02)
風来鶏 さん
風来鶏さんが住んでいる静岡からこちらに移り住んだのかもしれませんね。
by kurakichi (2014-10-26 01:39)
majyo さん
この辺りではここと大國魂神社が江戸名所図会に取り上げられています。
by kurakichi (2014-10-26 01:43)