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屋敷分村の庚申塔  [神社仏閣教会]

さて昨日の記事の弁慶橋から先は車では何回か通ったことがある場所ですが それも表通りで歩くのは初めてです。
旧甲州街道から離れ適当に住宅街を歩いていると
 
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石材屋がある丁字路に出ました。
近くに墓地もないはずなのに写真にも写っていますが形になった墓石がいくつか置かれています。
今でこそお墓はお寺や公共の墓地にあるものですが 古い村では(私の母の実家がある相原町でも同じ)お墓は一族一族で畑の一画にあったり裏山にあったりしました。
この石材屋さんもそういった村の時代からあったものなのでしょう。
ということはこの辺りはかなり古くからあった村と考えられます。
この石材屋さんの道を挟んで反対側には
 
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質屋さんもあるのですが今どきここにお金を借りに来る人がいるのやら?
この二店が面している道は道幅は狭いのですが東八道路ができる前は関戸橋から府中市街に出る道で私も何回か通った道です。
この道も甲州街道ができる前からあったいわゆる鎌倉街道です。

この道を南(関戸橋方面)に少し行くと
 
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浅間神社があります。
その浅間神社の前には
 
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三体の石仏と
 
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寛政2年(1790年)に作られた 奉讀誦普門品供養塔 、
それに
 
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延宝2年(1674年)に作られた三猿の上に青面金剛が刻まれた庚申塔があります。

今ここは府中市三好町3丁目なのですが昔は屋敷(鋪)分村と言いました。
 
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なんと府中の国衙の役人たちの屋敷があったのだそうです。

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コメント 7

majyo

鎌倉街道は当地にもあります。こちらもその雰囲気ですね。
古い石碑などありますから。私の畑の地主さんも一角に先祖代々の
お墓があり、当地も300年続いた家が多いので
他にも突然お墓があります。
お寺とは信仰の対象のようで、そこにはありません。
by majyo (2014-10-26 18:54) 

U3

地方の歴史を紐解いてみると面白いですよね。
安曇野の穂高神社には面白い記述があります。
なんと安曇野の由来となった氏は九州の海の民だったというのです。
by U3 (2014-10-26 20:01) 

風来鶏

寺内貫太郎風の親方が、石を刻んでいそうな石材店ですね^^;)
by 風来鶏 (2014-10-26 22:01) 

kurakichi

majyo さん

ご先祖様と一緒に暮らす それが本来の姿だったのでしょうね。
縄文時代は集落の中央にお墓があったのだそうです。

by kurakichi (2014-10-26 23:51) 

kurakichi

U3 さん

海の民もいろいろつらい経験をし長野までやってきたのでしょうね。

by kurakichi (2014-10-26 23:53) 

kurakichi

風来鶏 さん

寺内貫太郎一家 頑固者の石屋のおやじでしたね―。

by kurakichi (2014-10-26 23:55) 

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