放生寺での定点観測 [神社仏閣教会]
穴八幡宮の
急な階段を下り 今年もお隣の
放生寺に向かいます。
看板にあるように放生寺でも穴八幡宮と同じお札がいただけます。
江戸時代は神仏習合であって仏教系の神様も神社に祀られていたりして適当というか日本人らしい融通無碍のおおらかな時代でした。
幕府は寺社を管理するために寺社奉行をおきましたが 寺を別当寺として神社の上に置き寺が神社を管理するようにしました。
それはお寺にはお墓があって家々の過去帳が戸籍の役割を果たしていて 幕府は檀家制度を使って人を管理するために都合が良かったからなのです。
放生寺は穴八幡宮の別当寺であって
坂の右側は穴八幡宮の敷地になっていて
お堂の真裏は建設中の穴八幡宮の鼓楼です。
今は塀で区切られていますが江戸時代はそれはなく 全く一体化していたものと思われます。
ということで放生寺でも一陽来復のお札をいただくことができます。
とは言え私はすでに穴八幡宮のお札をいただいていますので ここですることは
お大師様のお像の周りの敷石を
一つ一つ踏んで四国八十八ヶ所霊場を巡った気分になることです。
それぞれの敷石の下には石に刻されたお寺の砂が敷かれているのだそうです。
昨年行った国分寺薬師堂にはお堂の周りに四国八十八ヶ所霊場に因んだ石仏が置かれていて形は違いますが同じことが江戸時代から行われていたことを初めて知りました。
ここでもう一つすることはここから早稲田大学文学部キャンパスの建物を見ることです。
2011年に来た時は旧33号館が取り壊される直前でしたが
今は
少し横幅が増した新33号館になっています。
さて次はもう一つ気になる建物を見に
馬場下の交差点を渡って
本部キャンパスに向かいます。
急な階段を下り 今年もお隣の
放生寺に向かいます。
看板にあるように放生寺でも穴八幡宮と同じお札がいただけます。
江戸時代は神仏習合であって仏教系の神様も神社に祀られていたりして適当というか日本人らしい融通無碍のおおらかな時代でした。
幕府は寺社を管理するために寺社奉行をおきましたが 寺を別当寺として神社の上に置き寺が神社を管理するようにしました。
それはお寺にはお墓があって家々の過去帳が戸籍の役割を果たしていて 幕府は檀家制度を使って人を管理するために都合が良かったからなのです。
放生寺は穴八幡宮の別当寺であって
坂の右側は穴八幡宮の敷地になっていて
お堂の真裏は建設中の穴八幡宮の鼓楼です。
今は塀で区切られていますが江戸時代はそれはなく 全く一体化していたものと思われます。
ということで放生寺でも一陽来復のお札をいただくことができます。
とは言え私はすでに穴八幡宮のお札をいただいていますので ここですることは
お大師様のお像の周りの敷石を
一つ一つ踏んで四国八十八ヶ所霊場を巡った気分になることです。
それぞれの敷石の下には石に刻されたお寺の砂が敷かれているのだそうです。
昨年行った国分寺薬師堂にはお堂の周りに四国八十八ヶ所霊場に因んだ石仏が置かれていて形は違いますが同じことが江戸時代から行われていたことを初めて知りました。
ここでもう一つすることはここから早稲田大学文学部キャンパスの建物を見ることです。
2011年に来た時は旧33号館が取り壊される直前でしたが
今は
少し横幅が増した新33号館になっています。
さて次はもう一つ気になる建物を見に
馬場下の交差点を渡って
本部キャンパスに向かいます。
穴八幡という名前に、あれ?と思い、
写真を拝見したら、別の穴八幡さまね・・・
じゃなかったですね。
もう何十年も行っていませんでしたので
様変わりですね。
by らしゅえいむ (2015-02-01 23:09)
らしゅえいむ さん
このところ毎年境内に新しいものができてきれいになっています。
by kurakichi (2015-02-01 23:47)