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伝法院鎮護堂  [神社仏閣教会]

 
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マルベル堂でプロマイドを撮り終えてから浅草寺伝法院の方へ行ってみました。

まだ夕方までは時間があったので
 
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鎮護堂の門が開いていました。
ここの前を通るのはたいがい日没後なのでいつも閉まっていて入ったことがありませんでした。
中に入ると
 
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こちらは閉まっていますが伝法院へと続く立派な門がありました。
これは
 
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水子地蔵。
ここのメインは
 
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鎮護堂です。
 
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ここはいわゆる拝殿で
 
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奥におたぬきさまを祀っているちいさなお社があります。
脇には
 
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信楽焼のおたぬきさまもいらっしゃいました。

そうそう 幇間、太鼓持ちと呼ばれる人たちは「たぬき」とも呼ばれていたので全国幇間協会が塚を奉納していました。
さすが浅草。

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コメント 4

斗夢

浅草寺には行きますが、ここは行ったことがありません。
伝法院なんていいですね、江戸時代に戻ったみたいです^^。
幇間・太鼓持ちがたぬき・・・知りませんでした。
by 斗夢 (2015-11-28 04:58) 

majyo

私もここは知りません。
太鼓持ちが守り仏がタヌキとは(@_@;)
一度幇間さんの芸を見たことがありますが、さすがです
by majyo (2015-11-28 19:02) 

kurakichi

斗夢 さん

このお堂は明治期に作られましたので比較的新しいのですがさすが浅草風格を感じます。

by kurakichi (2015-11-29 06:28) 

kurakichi

majyo さん

江戸時代 初め芸者といえば幇間を指したようです。
その当時は遊郭では色と芸とが一体で遊郭は疑似恋愛を楽しむところでした。
それがいつしか色がメインになって芸と色が分かれ芸(主に歌と踊り)を売り物にする女性を芸者というようになってそれまで芸者と呼ばれていた男は男芸者=幇間とようばれるようになったっと聞いています。

by kurakichi (2015-11-29 06:38) 

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