SSブログ

今のハモニカ横丁Ⅱ  [街並]

1953年当時のハモニカ横丁の東半分は
 
160114_001.jpg

こんな町割りでした。

この日のお昼は久しぶりに
 
160114_002.jpg

珍来亭で
 
160114_003.jpg

特製油ラーメン+半チャーハン 800円をいただきました。
ここには私の知る限り40年以上も前から油そば(確かラーメンとは言っていなかったような、、、)がありました。
今はブームというか色々なお店でやっていますが その当時は武蔵境の珍珍亭と今はもうない国立市にあったお店(地元のササキ君情報で訂正)国立市の三光の3店舗ぐらいでしかなかったメニューです。
この珍来亭は2008年に新しくなりましたが珍来亭の場所は1953年の図では中華マーケットの中ほどに 中華そば と書かれた場所ですのでおそらくその当時から続いているお店だと思います。
その当時から同じスタイルで営業をしているお店は同じく中華マーケットの駅前通り近くの
 
160114_005.jpg

不二屋鮮魚店、それに
 
160114_006.jpg

仲見世通りの乾物の なぎさや そして昨日の記事に宝石屋さんぐらいでしょうか。
 
ハモニカ横丁の店舗の種類の推移が 盛り場はヤミ市から生まれた に載っていました。
 
160114_004.jpg

これを見ると1960年代から全体として店舗数が減ってきています。
これは百貨店の進出などの再開発で影響で古臭い商店街が消費者から見放されてきたためです。
それが一般飲食店、特に飲み屋がの店舗が1987年から増え始めています。
 
160114_007.jpg

ハモニカキッチンができたのは1998年ですが手塚氏のコンセプトがこの増加に大きく働ています
サラリーマンおやじを対象にしていた横丁の飲み屋ではなく
 
160114_008.jpg

若者や外人に受けるようなお店にした手塚氏の手腕に因っているのです。
その結果
 
160114_009.jpg

こんなオシャレなおファッション店や
 
160114_010.jpg

こじゃれた定食屋もできています。
しかし
 
160114_011.jpg

いかんせん建物は相当老朽化しています。
しかしまっさらなビルにしてしまってはその魅力は全くなくなってしまいます。
この先ハモニカ横丁がどう変化するか注目です。

nice!(148)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 148

コメント 4

きよたん

30年以上前のハモニカ横丁に良く行っていました
が峠という居酒屋があって隣に居合わせた人たちと楽しく
飲んだ思い出があります。この界隈で高田渡さんをよく
見かけました。吉祥寺はこれからどうなるのでしょうか
ずいぶん店も入れ替わりが激しそうです。
by きよたん (2016-01-14 10:40) 

佐々木

国立の油そばの三幸は初代は亡くなりましたが、息子さんが継いで現在も
営業しています。
by 佐々木 (2016-01-14 18:59) 

kurakichi

きよたん さん

はてさてどうなるか。
ハモニカ横丁全体の商店街ではなく各通りの商店街での意思決定ができるようになったと聞いています。
まず西側ののみや横丁辺りから再開発ということのなるのかもしれません。

by kurakichi (2016-01-14 20:58) 

kurakichi

ササキ君 

ご指摘ありがとうございます。
早速本文も訂正いたします。

by kurakichi (2016-01-14 20:59) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。