今のハモニカ横丁Ⅱ [街並]
1953年当時のハモニカ横丁の東半分は
こんな町割りでした。
この日のお昼は久しぶりに
珍来亭で
特製油ラーメン+半チャーハン 800円をいただきました。
ここには私の知る限り40年以上も前から油そば(確かラーメンとは言っていなかったような、、、)がありました。
今はブームというか色々なお店でやっていますが その当時は武蔵境の珍珍亭と今はもうない国立市にあったお店(地元のササキ君情報で訂正)国立市の三光の3店舗ぐらいでしかなかったメニューです。
この珍来亭は2008年に新しくなりましたが珍来亭の場所は1953年の図では中華マーケットの中ほどに 中華そば と書かれた場所ですのでおそらくその当時から続いているお店だと思います。
その当時から同じスタイルで営業をしているお店は同じく中華マーケットの駅前通り近くの
不二屋鮮魚店、それに
仲見世通りの乾物の なぎさや そして昨日の記事に宝石屋さんぐらいでしょうか。
ハモニカ横丁の店舗の種類の推移が 盛り場はヤミ市から生まれた に載っていました。
これを見ると1960年代から全体として店舗数が減ってきています。
これは百貨店の進出などの再開発で影響で古臭い商店街が消費者から見放されてきたためです。
それが一般飲食店、特に飲み屋がの店舗が1987年から増え始めています。
ハモニカキッチンができたのは1998年ですが手塚氏のコンセプトがこの増加に大きく働ています。
サラリーマンおやじを対象にしていた横丁の飲み屋ではなく
若者や外人に受けるようなお店にした手塚氏の手腕に因っているのです。
その結果
こんなオシャレなおファッション店や
こじゃれた定食屋もできています。
しかし
いかんせん建物は相当老朽化しています。
しかしまっさらなビルにしてしまってはその魅力は全くなくなってしまいます。
この先ハモニカ横丁がどう変化するか注目です。
こんな町割りでした。
この日のお昼は久しぶりに
珍来亭で
特製油ラーメン+半チャーハン 800円をいただきました。
ここには私の知る限り40年以上も前から油そば(確かラーメンとは言っていなかったような、、、)がありました。
今はブームというか色々なお店でやっていますが その当時は武蔵境の珍珍亭と
この珍来亭は2008年に新しくなりましたが珍来亭の場所は1953年の図では中華マーケットの中ほどに 中華そば と書かれた場所ですのでおそらくその当時から続いているお店だと思います。
その当時から同じスタイルで営業をしているお店は同じく中華マーケットの駅前通り近くの
不二屋鮮魚店、それに
仲見世通りの乾物の なぎさや そして昨日の記事に宝石屋さんぐらいでしょうか。
ハモニカ横丁の店舗の種類の推移が 盛り場はヤミ市から生まれた に載っていました。
これを見ると1960年代から全体として店舗数が減ってきています。
これは百貨店の進出などの再開発で影響で古臭い商店街が消費者から見放されてきたためです。
それが一般飲食店、特に飲み屋がの店舗が1987年から増え始めています。
ハモニカキッチンができたのは1998年ですが手塚氏のコンセプトがこの増加に大きく働ています。
サラリーマンおやじを対象にしていた横丁の飲み屋ではなく
若者や外人に受けるようなお店にした手塚氏の手腕に因っているのです。
その結果
こんなオシャレなおファッション店や
こじゃれた定食屋もできています。
しかし
いかんせん建物は相当老朽化しています。
しかしまっさらなビルにしてしまってはその魅力は全くなくなってしまいます。
この先ハモニカ横丁がどう変化するか注目です。
30年以上前のハモニカ横丁に良く行っていました
が峠という居酒屋があって隣に居合わせた人たちと楽しく
飲んだ思い出があります。この界隈で高田渡さんをよく
見かけました。吉祥寺はこれからどうなるのでしょうか
ずいぶん店も入れ替わりが激しそうです。
by きよたん (2016-01-14 10:40)
国立の油そばの三幸は初代は亡くなりましたが、息子さんが継いで現在も
営業しています。
by 佐々木 (2016-01-14 18:59)
きよたん さん
はてさてどうなるか。
ハモニカ横丁全体の商店街ではなく各通りの商店街での意思決定ができるようになったと聞いています。
まず西側ののみや横丁辺りから再開発ということのなるのかもしれません。
by kurakichi (2016-01-14 20:58)
ササキ君
ご指摘ありがとうございます。
早速本文も訂正いたします。
by kurakichi (2016-01-14 20:59)